平清盛関連人物 後白河天皇(雅仁親王) | 南の雑記

平清盛関連人物 後白河天皇(雅仁親王)

鳥羽天皇と中宮・藤原璋子の第4皇子として生まれる。親王宣下を受けて雅仁と命名される。

元々、皇位継承とは無縁な立場だったため遊興に明けくれていた。
自由な表現をする今様(民謡・流行歌)をとても好み、昼は一日中歌い暮らし、夜は一晩中歌いあかし、声がでなくなったことは三回あり、そのうち二回はのどが腫れて湯や水を通すのもつらいほどだったと口伝集に残っている。
そのような雅仁親王の様子から常軌を逸しているとみられ、即位の器量ではないと鳥羽上皇からみなされていた。

※大河平清盛を見ているかたは下はネタバレ注意

 

けれど、近衛天皇の崩御で、雅仁親王の第一皇子で得子の養子となっていた守仁親王が即位するまでの中継ぎとして、立太子しないまま29歳で即位する。

大河平清盛では、遊興にあけくれるところから清盛と出会うエピソードが第9回「ふたりのはみだし者」で用意されている。

 

後白河天皇(法王)は、中継ぎの天皇として即位したが、34年にわたり院政を行った。
保元の乱、平治の乱など戦乱が続き二条天皇、平清盛、木曾義仲との対立により何度も幽閉、院政停止に追い込まれた。
そのたびに復権した。
鎌倉幕府とは軋轢を多く抱えながらも協調し公武関係の枠組みを作った。

  • Yahoo!ブックマークに登録する
  • はてなブックマークに登録する
  • livedoorクリップに登録する
  • newsingブックマークに登録する
  • del.icio.usブックマークに登録する
  • ニフティクリップに登録する
  • RSSを購読する

次の記事 »
前の記事 »
トップページへ » 南の雑記

南の雑記 TOP » 平清盛 » 平清盛関連人物 後白河天皇(雅仁親王)